「農薬ガイド」第100号発刊を祝って
農薬ガイドNo.100/A(2001.10.31) - 発行 アリスタ ライフサイエンス株式会社 筆者:山下 功
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 「農薬ガイド100号」の発刊を心からお祝い申し上げます。
 21世紀スタートの年に100号に到達した事と、新会社「アリスタライフサイエンス」の発足に重なった事で二重の喜びを覚えます。誠にご同慶の至りであります。
 100号と云うと、年に4回の発行として25年になる訳ですが、アリスタ ライフサイエンス(新しく「アリスタライフサイエンス」に発展した)の農薬事業と「農薬ガイド」を重ね合わせて私なりに振り返って見たいと思います。
 飽食の時代になっている現在から見ますと、アリスタ ライフサイエンスの農薬事業が軌道にのってきた昭和40年代後半は、第二次世界大戦が終って20年余り「最早戦後ではない」と言われてはいましたが、まだまだ食料増産に取り組んでいた時期で農薬に対する期待も大きく、需要もあり「農薬ガイド」発行の意義も高かったと思います。
 今、お祝いの原稿を書いている私の手元に、これまでの「農薬ガイド」が第1号から第98号までの通巻98冊と、芝生の病害虫防除及び除草関係の別冊特集号の合計99冊が有りますが、最初から同じスタイルで、ページ数もほとんど同じです。このサイズになった経緯は、定期刊行物として認められず、そのための郵便代との兼ね合いであったかと記憶しております。
 創刊当初から20数年にわたり編集を担当して頂いた大久保さんの執念のようなもので現在のスタイルになったと思っています。初期の頃の奥付には発行人欄に自分の名前があり、いささか気恥ずかしい気持ちにもなります。
 更に振り返りますと、「アリスタ ライフサイエンス農薬ガイド」発刊前に「東棉農薬ニュース」と云うのを何年間か発行致しました。現在のスタイルと違いB5で頁数も20頁前後、原色の写真もなく謄写印刷の様な素朴なものでした。
 私は平成10年から2年程「農薬ガイド」の編集をお手伝いしました。その時、参考にしたいと思い「東棉農薬ニュース」を探しましたが、会社にも自宅にも見当たりません。会社は度々の事務所移転で、その都度身軽になるために整理したものと思いますし、自宅に在った物は、4年程前リフォームの際に整理した様です。今になって見ますと誠に残念な事をしたと思います。
 この「東棉農薬ニュース」は、発行部数も現在の1回当り2万部近いものと違い、数百部程度で、配布先も農薬の委託試験でご協力頂いた試験研究機関、お得意様である農薬会社さん、全農さんの前身であった全購連などのごく限られたものだったと思います。
 少ない発行部数ながら、執筆者には有識者の方々にお願いしており、何年か前に文化勲章を受賞された田村三郎先生が東大教授の頃、3回程の連載記事を寄稿頂いた事がありました。内容は「植物ホルモン」についてであったと思います。田村先生とは爾来30年余り年賀状などのお付き合いが続いているのも、「農薬ニュース」の取り持つご縁ではないかと思っています。
 日本農薬㈱の専務であった熊野義夫さんにも何回か寄稿して頂きました。
 熊野さんは、日本の農薬業界黎明期の頃から仕事をされた方で、海外の文献、雑誌などにも良く目を通しておられ、海外の農薬事情等も度々紹介して頂きました。農薬業界もまだまだ小さく、公的研究機関、化学会社、大学等の研究者もそれほど多くなく、文献類の紹介も今とは格段の違いが有りました。したがって、熊野さんの情報は非常に貴重で、読者の方々には参考になっていたのではないでしょうか。
 国産品としては、第二次大戦前から生産されていた比酸鉛、硫酸ニコチン、機械油乳剤、石灰硫黄合剤等で、戦後の初期に導入された代表的な除草剤2,4Dは石原産業と日産化学、殺虫剤パラチオンは住友化学等々と、いくつかの農薬原体が海外メーカーのライセンス契約の基に製造されておりました。
 昭和30年代の初期、戦後日本の農薬揺籃期に、東洋棉花(現アリスタ ライフサイエンス)は、いち早く海外農薬メーカーのAgentとしての権利確保に着手。米国のカリフォルニア スプレー ケミカル(後のシェブロン ケミカル)、ストファー ケミカル、アライド ケミカル等々の農薬関係の代理権を取得しました。当時はまだ海外の化学会社の出先はほとんど無く、主として商社が代理店の仕事をしておりました。日綿実業(現ニチメンでアリスタのパートナー)がダウケミカル、日瑞貿易がガイギー、そして三洋貿易がロームアンドハースの代理店として、実績を挙げていました。
 東洋棉花が昭和30年代の初め、カリスプレーの殺菌剤オーソサイドを、年間10,000ポンド売るのが精一杯で、代理店の鼎の軽重を問われていた頃のことを思うにつけ、現在の隆盛を見ますと感慨無量のものがあります。
 ストファーからは主として除草剤(モリネートなど)、シェブロンからは殺菌剤ダイホルタン、殺虫剤オルトラン等大型品目が出てきました。しかし、アライドはケポンという防蟻剤がありましたが、実績を作るまでには行きませんでした。また、イギリスのファイソンの代理権も取得しましたが、商内ができる前にドイツのシェーリングに合併され代理権を失ってしまいました。
 今、環境問題が取り上げられており、天敵農薬についても、その先頭を切って走っていますが、この事業も成功する事を切に祈っております。
 新会社「アリスタライフサイエンス㈱」のパートナーであるニチメンの農薬グループも輸出面において活躍しており、アリスタ ライフサイエンスも各地でその後塵を拝し、悔し涙を流した事もありました。
 今や両社の農薬部門が一体となって21世紀のライフサイエンス事業に取り組んでゆく訳ですが、多くの分野での事業統合が起きており、「アリスタライフサイエンス」にしても以前には考えられないことでした。将来を期待する所大なるものがあります。
 アリスタ ライフサイエンスの農薬商内40年余りをもう一度振り返りますと、シェブロンの初代駐在員Dr.R.D.Wesselの何事にも真剣に取り組み、親切な対応の数々は忘れることができません。その他、多くの方々の名前が浮かびますが、この限られた紙面ではとても網羅することができません。そこで、一人だけ紹介させて頂きます。
 昭和38年、当時の小澤正吉化学品部長(元副社長)は、まだ化学品全体の基盤が弱く、周囲の反対の多い中で、忍耐これ努めて農薬の開発を進められ、今日の基盤を作られました。特記して記憶に留めたいと思っています。
 農薬商内の道のりは決して平坦ではありませんでしたが、多くの関係者の方々の努力と、ご指導いただいた試験研究機関の先生方や、実際に販売面でご協力頂いた農薬メーカーの方々、末端の農協、代理店の方々のご支援のお蔭で、立派な業績を残す事ができたものと思っております。
 農業を取り巻く環境は、環境問題、輸入農産物の流入、後継者問題等々これまで以上に厳しいものがあります。こうした中、「農薬ガイド」は新たな船出をする訳ですが、「会社」も「農薬ガイド」も更に大きく発展する事を期待してお祝いと致します。

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