今年の6月にオランダ コパート社の創業者であるピーター・コパート氏が亡くなられました。
30年ほど前から、日本でアリスタが開発、販売している マルハナバチ製品 「ナチュポール」 シリーズや、「スパイデックス」
などの天敵昆虫、「マイコタール」 などの微生物農薬の開発・増殖会社が、オランダのコパート社であるということは、ご存知の方が多いと思います。
コパート社は、オランダの首都アムステルダムから南に1時間ほどで到着するロッテルダムというオランダ第二の都市の郊外にあります。
周囲は田園地帯ですが、コパート社が天敵昆虫、マルハナバチ、バイオスティミュラントなどの販売が増加して世界一の生物防除会社に発展してきたことを示すように、立派な本社ビルが10年ほど前に完成しています。
近年は売上が500億円程度にまで伸長しており、天敵ビジネスがこのように隆盛することを想像できた人は当時は、あまりいなかったのではないでしょうか。
ピーター (親しみをもってファーストネームとします)が1970年代初頭に設立した頃のコパート社は、わずか5~6人だったとのことです。弟の元社長ポール・コパート氏と、従弟のヘンリー・オーストフック氏の三人を中心に、チリカブリダニの生産から、始めたといいいます。
チリカブリダニは、キュウリの栽培家だったピーターの父が、当初、スイスの医薬品会社であるロッシュ社から購入したときいています。
ロッシュがカブリダニの増殖を継続しなかった理由はわかりませんが、コパート兄弟たちが増殖を引き継ぎました。
当初は、チリカブリダニは、カブリダニが増えている植物の葉を茶色の封筒にいれて出荷していたそうです。
オンシツツヤコバチもイギリスで発見されたのですが、その増殖では、ツヤコバチの天敵が発生したりして、なかなかうまくいかなかったという話も聞きました。またイスラエルの天敵会社とも提携していました。
筆者がピーターと初めて会ったのは、1980年代後半のサンフランシスコの空港ホテルでした。
当時、筆者はサンフランシスコでトーメンという商社の駐在員でした。
彼に会う数ヶ月前、カリフォルニア大学デイビス校の天敵で有名な教授のもとに行き、どこの天敵会社が有望ですか、と担当直入に聞いたのです。
すると、教授は、コパート社とイギリスとアメリカ、カナダなどの数社を推薦してくれました。
アメリカとカナダの会社を訪問したあと、オランダも訪問するつもりでいたところ、ピータ―がちょうどサンフランシスコに来るので、空港で会おうということになりました。
コパートは、カリフォルニアのスタインベックの小説で有名なモンタレー・サリーナス地域のイチゴ畑にチリカブリダニをバルク
(ボトルに入れないで) で輸出していたのです。
プラントサイエンスという現地の販売会社経由でした。
そこで、ピータ―に、日本で天敵を登録・販売させて欲しいというと、彼は、すこし首をかしげて、
「でも、日本人はすぐコピーして、日本で増殖するのではないですか?」 と心配そうでした。
そこで、筆者は、「日本はもはや、他国の技術をコピーしてビジネスをするような国では、ありません。オランダで大量に増殖している天敵の一部を日本に空輸するほうが、コスト的にも有利と考えています!」
と伝えたところ、「わかった。では契約をしよう。ただし、契約金が必要です。」 というのです。
さすがにこのあたりは、オランダ独特のダッチアカウント(割り勘)精神の面目躍如という印象でしたが、無事、アリスタの前身であった東京のトーメン本社は頭金を支払ってくれたので、このプロジェクトは進むことになりました。
その数年後、筆者が日本に帰国すると、これら天敵の開発業務を命じられたので、初期の天敵や微生物の開発、登録作業も順調に進めることができたのです。
その後、より関係を強化するために、コパート社に資本参加もさせていただいたのです。
ところが、今度はコパート本体が、資金的な厳しさから、資金協力をしてほしいということで、数年間にわたり前金で、天敵、マルハナの支払いをすることになりました。トーメンの上司からは、かなり厳しく詰問されたり、難色を示されました。2000年前後はまだ生物農薬のビジネスがさほど大きくなく、また競合会社との競合も激しかったため、利益が取れなかったというのが当時の現実でした。この状態は数年で無事終わりましたが。
その後、ピーターなどを中心に、スペインという大きな市場での成功、また近年はブラジルの畑作場面での成功などがあり、コパート社は、生物農薬分野でのナンバー1の会社になったことは皆さんのよくご存じのところです。
ピータ―は近年まで、コパートの顧問をしていました。ピーターを含め、ポール、ヘンリーなどは、敬虔なクリスチャンで、いつも食事の前には、お祈りをしてから、食事を始めるところを見て驚いたものです。
どうしてキリスト教国なのに、江戸時代に幕府と貿易ができたのか訝しく思ったものです。また、筆者が、赤坂の氷川神社などにお連れしたところ、このような宗教のお寺には、入れないというのにも驚きました。
その後、牛久の大仏にお連れしたときは、さほどのアレルギー感はなくなっていました。