就農当時は果樹作 (デコポン・温州ミカン・ネーブル) が約3ha、イチゴ土耕栽培
約25aを中心とする複合経営を家族労力と臨時雇用だけで賄っていました。春になると、柑橘の剪定や肥培管理、イチゴの収穫・出荷・防除管理などとの労力が競合しあう毎日でした。イチゴ作の始まりは、昭和45年、本格的なコメの減反政策に対応して、父が水稲に替わる換金作物として、土耕栽培
(品種「はるのか」) を導入したのがはじまりです。栽培歴はもう50年にもなり、今では、経営規模も大きくなり、我が家ならではの栽培技術も確立し基幹品目となっています。
就農当時、イチゴでは毎年春先にハダニが蔓延し、4月には防除が困難となり、収穫をやめるありさまで、病害虫防除作業などは工夫しだいで必須作業から減らすことができると、減農薬への取り組みをいつも考えていました。
景観は素晴らしくても、台風などの自然災害には勝てません。平成17年の台風で、連棟のパイプハウスはペッチャンコになり全壊しました。今だから、笑えるのですがあの時は必死でした。災害をバネにと、自力更生で再建・拡大をして、現在の40aの高設栽培規模になりました。
天敵利用は15年前 ミヤコカブリダニ (スパイカルEX) の利用から
就農後、宇城地方4Hクラブ (全国的組織である青年農業者クラブ) に加入し 「イチゴ栽培における天敵・微生物資材の活用方法を探る」
を農業技術改善のプロジェクトとして取り組みました。当時は、イチゴ栽培での天敵利用について全く普及もしておらず、過去に地域で失敗した経験もあり、指導機関等でも相談する余地はありませんでした。宮崎大学の先生や友人
(現普及指導員) などから 「天敵ミヤコカブリダニの利用技術」 を教えてもらい、4Hクラブの仲間と大学の先生を訪問したりして、天敵利用技術を学びました。
その当時の防除技術のポイントは、一口にいって 「天敵力」 と 「我慢力」 です。
1) 定植、ビニル展張後、天敵放飼前のハダニ防除を徹底
2) 「早めに入れて・早めに増やす」 をモットーに10月中にはミヤコカブリダニを放飼
3) 放飼後、殺ダニ剤は1月まで散布しない。やむを得ない場合は、スポットで気門封鎖剤などを散布(天敵に対する農薬別影響情報もあまりなく気門封鎖剤を中心にできるだけ少ない散布を心がけた)
4) 1月になってからハダニが多くなった時、天敵に影響のない殺ダニ剤を散布
(殺ダニ剤の散布回数が減ったことで、抵抗性の回避を期待)
この4つを、ポイントに天敵を放飼。始めてから数年間は、12月にハダニが増えて、父から農薬散布を強制されてもそこは我慢と辛抱で乗り越えてきました。結果として、待ち受け型のミヤコカブリダニ(スパイカルEX)
5千頭/10a放飼と化学農薬の適期利用で農薬散布回数を慣行の1/3まで削減することができ5月まで収穫も延長することができるようになりました。こうした、減農薬栽培の取り組み成果は、県4Hクラブのプロジェクト成果発表会で最優秀賞となり、九州大会に発表・提案させていただきました。