はじめに
昆虫病原体として単独で扱われることが多い昆虫病原糸状菌が、害虫に病原性を有する微生物農薬としてだけでなく、植物病害抑制効果、植物生長促進効果などの特性を持っていることがここ10年で数多く報告されており、その研究の現状はすでに記した(小池・相内、2013,
小池、2014)。
これらのいまだ完全に解明されていない昆虫病原性糸状菌の生態学的役割は、昆虫および他の節足動物の有害生物に対する微生物農薬としてのみ昆虫病原性糸状菌を開発するため、その重要な特性を今まで見落としていたのではなかろうか。このような特性のさらなる役割は、IPM戦略に用いて何らかの利点が考えられるのではないだろうか(Moonjely
et al. 2016, Jaber & Ownley, 2017)。
現在までに昆虫病原糸状菌のゲノム解析や分子生物学的研究および植物―微生物(昆虫病原菌)―昆虫の三つ巴の相互作用の仕組みの理解が進むにつれて、なぜ昆虫病原糸状菌が上記のような特性を持っているのかが徐々に明らかになってきた。本稿では最新の研究成果を紹介したうえで、著者らの研究成果の一部も報告したい。
1. 昆虫病原糸状菌はなぜエンドファイトの特性を持っているのか?
最近のゲノム解析のデータから、昆虫病原糸状菌で子のう菌類に属するMetarhizium属菌、Beauveria属菌、Lecanicillium属菌とPaecilomyces属菌は、グラスエンドファイトとして有名なEpicloë属菌や麦角病菌を含むClaviceps属菌と非常に近縁であることが分かった(図1)。
また、Metarhizium属菌、Beauveria属菌は動物病原菌よりもエンドファイトや植物病原菌の方がより近縁であり、Epicloë
festucaeとMetarhizium属菌は約8800万~1億1400万年頃前に分岐したことが明らかになった。
さらに、Metarhizium属菌は多くの植物分解酵素の遺伝子も保持しており、まだ、仮説であるが、昆虫病原糸状菌は植物関連菌類(植物病原菌・エンドファイト)から分岐し、昆虫病原性に係る遺伝子群は遺伝子重複や他の昆虫病原性菌類や昆虫を介して水平伝達により伝わり獲得したと考えられている(Moonjely
et al. 2016, Wang et al. 2016)。
昆虫病原糸状菌は土壌中、植物の葉面、根面および内部、昆虫の表面や体内など様々異なった環境に生存している。それぞれの生態的ニッチにおいてマルチな機能を持った昆虫病原糸状菌は生存するために「表現型可塑性」や「遺伝子型可塑性」が必要になってくる。たとえば、昆虫の体表面や植物の根の表面に付着するときにはMetarhizium属菌はアドヘシンタンパク質の遺伝子MAD1とMAD2をそれぞれうまく発現させている(Wang & St. Leger, 2007)。
おそらく植物体表面や内部、昆虫の体表や内部や土壌中等ではいくつかの遺伝子が機能的にオーバーラップして発現しているのではなかろうか、このような遺伝子の発現を追っていくことは、昆虫病原糸状菌の進化を知るうえで非常に重要になってくる。
もう一つの例はMetarhizium属菌の病原性に係るサブチリシン様プロテアーゼのPr1Aが昆虫起源および植物起源の培地において高い発現量を示したもので(Wang
et al. 2005)、ここでの紹介はわずかにとどめるが、このような病原性の発現に係る遺伝子や遺伝子発現のネットワーク等も次第に明らかになってきた(Wang
et al. 2016)。