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平成28年熊本地震・農業被災の現状と復旧に向けて
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熊本フィールドアドバイザー 荒木均
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我が家のことであるが、4月14日、震度7クラスの前震が起きた後、家内は、フトンの中でおびえ、靴を履いたまま、非常用袋を胸に抱き寝付かぬ一夜を過ごした。
前震発生から次の日、私は「一度強い地震が来たら、その後の余震は小さい」と家内に言い聞かせ眠りについた。
「それ見たことか」真夜中に、また震度7クラスの本震が起きた。
ドーンという轟音で目が覚めたら、倒れかけたタンスがベッドの頭の上10cmで止まっていた。
命拾いをした。立つこともできない程に揺れる中、やっとの思いで外に飛び出し、ショッピングモールの駐車場で、避難してきた皆さんと恐怖の中に身を置いた。
本震の翌日、通れる道路を探しつつ、ふるさとである西原村、益城町などを巡回したが、主な被災地では、殆どの家々が瓦礫同然となり、あちこちで土砂崩れと寸断された道路にただ茫然と立ちすくむだけであった。
熊本県では、以前から日奈久・布田川(西原村)断層に起因する大地震が起こると指摘されていたが、本当に起こるとは全く予期せぬ、歴史の1ページに残る出来事となった。
県内の被害は、およそ18市町村におよび、避難住民は1次18万人、死亡(関連死亡、行方不明含む)70人・半壊家屋数約16,000棟、農林水産業の被害額約1,300億円、被害総額額は4.6兆円とも言われ、営々と作り上げてきた、暮らしと伝統文化の基盤が一瞬のうちに水泡と帰した。あまりにも哀れである。
そのような中、幸運なこともあった。地震の発生時刻が真夜中の安息時間帯であったこと。もし、昼間の活動時間帯であったら、例えば、「阿蘇の基幹道路となっている南阿蘇大橋の崩落、どれだけ被害が拡大したか」と思うとゾッとする。
また、津波の発生がなかったことも幸いであった。ただ、熊本城石垣の崩落に見られるとおり、家屋敷地の石垣崩落や土砂崩れの被害は甚大であった。
熊本地震、前震以降6月まで、2ヶ月間で1700回以上の地震が起こり、今も余震が続き予断を許さぬ中、加えて梅雨に入り、地震で緩んだ大地は集中豪雨に見舞われ、思いもよらぬところで土砂崩れが起きるなど被害が続出している。
私が、IPMのフィールドアドバイザー活動で巡回している、農家も甚大な被害を被った。
例えば、南阿蘇村のイチゴ観光農園協議会(会員6戸)、IPMに積極的に取り組んでいるグループであるが、5月連休の稼ぎ時を前に、全ての農家が開園を断念。しかも、被害の大きい農業法人では、ハウスの高設ベンチが倒れ、集団移転も検討がなされ再建の目途も立たない状況になっている。
また、西原村では200haの農地灌漑用ため池の決壊、作付準備を終えたカンショ畑に地割れと1m以上の段差がつき現状復旧もできない状況。さらに、益城町のナス栽培農家では、自宅が全壊しハウス横のプレハブ仮設で生活。
ピーマン農家では、潅水用の水が確保できず栽培を断念、しかも自宅は全壊し、ハウスの中での暮らしが続いている現状。また。熊本市東区のキュウリ農家では、ハウスの地盤沈下で栽培を断念、再建が必要となっているが資金の目途がついていない農家等々、再建への道のりは遠い。
暮らす家もなく、農業収入の道も閉ざされた農家の皆さんには、課題が山積しているが、少しずつそのたくましさと笑顔も戻りつつある。
私も、天敵利用のアドバイスと併せて、再建に向け少しでもお手伝いができるよう、農業経営のよろず相談や支援情報の提供などに努めているが、再建を断念する高齢農家も見られ、一刻も早い、個々の実情に応じた手厚い支援が不可欠と考えている。
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最後に、アリスタ第2営業グループの市川さん、寳子山さんが5月の連休を利用し、農作業援助ボランティアとして、私の知り合いの県内有数の農業法人でカンショ植付等の手伝いをしていただき大変感謝しております。
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南阿蘇村、大橋が落下した黒川の付近
水田・道路が黒川に崩落、水田は作付不能
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約60aの観光いちご園は全滅。
高設ベンチはすべて倒壊。
今後、この土地での再建は難しい状況
南阿蘇村・観光いちご園
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植付を待つばかりのカンショ畑
30aの畑が地割れし1m以上の段差と畦畔崩落
圃場整備には時間がかかり耕作放棄の懸念も。
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促成キュウリハウス
地盤沈下し、水もなく収穫を断念。
ハウスの建て替えが必要となっている。
熊本市東区
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用水確保の目途が立たず、来作の作付も不可能。
露地栽培にしたもののいつまで収穫できるか。
面積は70a。
益城町
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※2016年8月5日現在の情報です。製品に関する最新情報は「製品ページ」でご確認ください。
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