浸透移行性有機リン殺虫剤「オルトラン」
 

下松 明雄

- アリスタ ライフサイエンス農薬ガイドNo.93/G (1999.10.1) -

 


 


 

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まえがき

 オルトランが発売(1973)されてから26年になる。この間に、畑作、園芸用殺虫剤として市販の殺虫剤の中で出荷金額は常にトップグループの地位を占めてきた。

 オルトランは日本のみならず海外でも広く使用されており、その有用性、経済効果はよく知られている。ここではこの剤、特に特徴、利点についてすでに周知ではあるが解説を試みた。この剤に関係のある諸氏に多少なりとも参考になれば幸いである。

オルトランの誕生

 この殺虫剤は米国のシェブロン社のP.S.Mageeによって合成され、1969年3月25日および1970年2月24日に「殺虫活性のあるN-acylphosphoramidothioates」として米国でパテントが申請された。最初にドイツで公開になり(Dec 03、1970)、その後米国でも公告(US 3716600; US 3845172)になった。1969年より海外で広く開発が始められたが、わが国でも1969年から開発が進められ、1970年より日植防委託試験、1973年秋には水和剤、粒剤が登録になり、翌1974年から本格的販売に入った。

第1図 オルトラン剤の年次別出荷(t)・金額(億円)の推移(日本)

第2図 オルトランの合成法(Magee、1974)

原体および製造

 オルトランは商品名で一般名はアセフェート(Acephate)と命名されている。最初の文献による合成法は第2図の通り比較的シンプルである。ジメチルホスホロチオクロライドをアンモニアでジメチルホスホロチオアミデイトにし、メチル化剤でチオノ体をチオ-ル体に変えてメタミドホスを作り、最後にアセチル化によりアセフェートを合成する。実際の工業的合成法は、これに改良を加えたものが採用された。原体の物理化学的性状を第1表で、化合物の分子モデルを第3図に示した。

 本化合物は早くから特許権に関わるパリ条約の不加盟国の中では製造販売されてきたが、特許の失効以後は世界で8ヶ国以上、意外に多くの会社で製造されており、50以上の商品名で種々の製品が販売されている。しかし、その品質には疑問が多い。

第3図 オルトランの分子モデル

製剤

 原体は固体(純品は無色結晶)で水および極性の高い溶剤には易容であるが、通常の炭化水素系溶剤には溶けにくい。したがって、わが国では50%水和剤、5%粒剤が最初に発売され、その後花木専用剤として15%液剤、10%乳剤、家庭園芸用としてアレスリン混合エアゾール剤等が市販されている。最近、樹幹注入用97%カプセルが上市された。その他、顆粒水溶剤、カプセル粒剤などが海外では開発販売されている。

選択毒性

 オルトランの哺乳動物に対する毒性は表2表に示した通りに非常に弱く、わが国では原体が普通物、WHOではClass」に指定されている。昆虫と哺乳動物とのこの選択毒性は、オルトランの前駆物質であり活性代謝物のひとつであるメタミドホス(第2図)のアセチル化により発現したものと考えられる。すなわち、昆虫とその他の動物間で酵素アセチルアミダーゼの分解力に差があることが原因と推察されている。

環境に与える影響

 オルトランを使用した時に対象害虫以外の生物に及ぼす影響について考察できる研究資料は海外を含めると数多くあるが、それらの一部を簡単に取りまとめて第3表に示した。哺乳動物に低毒性と同様に鳥毒も弱い。また魚毒も極めて低く、わが国ではA類に指定されている。水棲動物のミジンコ類に対しても毒性は低い。しかし同じ昆虫類のミツバチやカイコには使用時の注意が必要である。天敵昆虫に対して殺虫力は示すが、長期間にわたる影響は認められていない。圃場で土壌に施用された時の残留性は低く、半減期は2~3日である。またミミズに対する毒性も低い。

第1表 物理化学的性状

第2表 哺乳動物に対する毒性

第3表 環境生物毒性

作用機構

 オルトランは有機リン剤なのでアセチルコリンエステラーゼ(AChE)の阻害剤と推察されている。

 昆虫に対する作用でオルトランの食毒効力は接触毒より数倍強いとの報告がある。多くの有機リン剤は脂溶性であり、食毒と接触毒の効力差は少ない。オルトランは第1表の通り、水溶解度が高いため昆虫の皮膚透過性は低くなると思われる。水溶性の高い有機リン殺虫剤トリクロルホン(120g/リットル)でも同様な結果が得られている。

生物学的諸性質

(1)浸透移行性

 オルトランは浸透移行性に優れているが、これは分子量が小さく、水溶性であり、植物体中で比較的安定であることによるものである。茎葉に散布された薬剤は浸透して葉の表裏で吸汁、食害している害虫を殺し、先端、上方に徐々に移行拡散していく。この浸透性のために、雨による葉の表面からの流失、太陽光による分解が少なく、また散布液量の多少による防除効果のふれも小さく、残効が長い。

 根からの吸収、移行性も優れている。土壌施用された粒剤から有効成分が水分によってゆっくりと溶け出し根から吸収される。したがって安定した防除効果と長い残効性が期待できる。またこの施用方法では天敵など有用昆虫に対する悪影響は大きく軽減される。作物、害虫によっては粒剤のトップ・ドレッシングも有効である。

(2)適用害虫

 従来の浸透移行性有機リン剤と比較して殺虫スペクトラムが広い、すなわち、多種類の害虫の防除に使用できるのが特徴である。開発初期から欧米、日本を初め世界各国で主要作物、主要害虫対象に数多くの圃場効果試験が実施され、その結果、極めて広範囲の害虫、すなわちアブラムシ、アザミウマ、コナジラミ、カイガラムシ、カメムシ、ウンカ、ヨコバイ、グンバイムシなどの吸汁性害虫、ヨトウムシ、アオムシ、ウワバ、コナガ、ハマキ、ケムシ、ハムシ、ノミハムシ、ハバチなど食葉性害虫、ハモグリバ、ハモグリガなど潜葉性の害虫あるいは果実、茎などに穿孔する鱗翅目、鞘翅目および双翅目害虫、タネバエ、ネキリムシなどの土壌害虫に卓越した効果があることが明らかになった。ハダニ類にも本来は殺ダニ効力があるが、最近では有機リン剤抵抗性のため副次的効果も期待できなくなっている例が多い。

 有機リン剤は一般的に植物寄生線虫に効力があるが、本剤は殺線虫効力が極めて弱い。またDEPのように動物の寄生虫防除にも利用されていない。


▲ワタの害虫オオタバコガ

(3)適用作物

 オルトランは植物に対する安全性が非常に高く、季節、生育時期によらずほとんどの作物に薬害が認められていない。日本では果樹、野菜、畑作物、花卉など39の作物に登録されているが、マメ科作物(ダイズ、エダマ、アズキを除く)に薬害を生じる可能性があること、タバコに粒剤を使用した場合、極く稀に薬害が生じるので注意が必要である。果樹では日本ナシに薬害が見られた事例が有り、対象作物として登録されていない。

 海外でも薬害の報告は極めて少ないが、特殊作物を除いて主な作物ではリンゴのデリシャス系品種で葉焼けの薬害が生じることが知られている。

 米国での適用作物はマメ類、ブロッコリー、カリフラワ-、セルリ-、ワタ、レタス、クランベリ-、ハッカ、ピ-ナッツ、トウガラシ類、タバコ、イネ、カラシ、ゴマ、樹木、花類などであるが、使用量で最大の作物はワタとタバコである。

(4)混合剤と相乗効果

 人畜、環境生物に安全で、広範囲の害虫に有効、残効も長く、作物の薬害もないなどオルトランは優れた性質を持つために開発当初から混合剤のパートナーとして期待されていた。特に北興化学で多くの混合剤が検討されており、1975年には9件の混合剤の特許が公開されている。その内容はMEP、MPP、BRP、PMP等の有機リン剤、チオメトンなどの浸透性殺虫剤、NAC、メソミルを含むカーバメート系殺虫剤、EDDP、IBPなど有機リンいもち剤、ベノミルなどの殺虫剤、その他ほとんどの市販の薬剤が含まれる。その後も新規薬剤が開発されると、その混合剤の特許に含まれる基幹剤になっている。しかしながら、現在日本で登録されている混合剤は意外と少なく、オルトラン・NAC水和剤だけが成功している。本化合物の他薬剤に対する親和性は余りなく、製剤化が困難なことが主な理由である。

 またオルトランについてはいくつかの薬剤で相乗的効果が認められており、圃場ではタンク・ミックスで利用されている例が多い。たとえばピレスロイド剤も広範囲の害虫に有効であるが、オルトランより天敵類に長期間影響を及ぼし、害虫特にハダニ類が異常に高密度になる「リサ-ジェンス」現象が圃場で見られる。残留の短いある種のピレスロイド剤にオルトラン水和剤を混用して相乗的にハダニに対する防除効果を高め、しかもリサージェンスを回避することが日本のカンキツ栽培で行なわれている。この圃場での相乗的な防除効果には種々の理由が考察されているがいずれも明確なものではない。

(5)抵抗性の発達

 オルトランも長期間使用されているので、海外ではアブラムシ類、コナジラミなど年間世代数の多い吸汁性害虫について抵抗性の発達を示唆する報告がある。比較的単純な化学構造の本化合物では抵抗性の原因となる各種の分解解毒酵素が作用する部位が少ない。したがって、抵抗性発達の機会も少なく、また抵抗性の発達も緩やかであり、他剤との交差抵抗性も余り認められていない。

第4表 特許、研究論文、報告数
(Chemical Abstractsより)
  Acephate単剤 混合剤
1972~1976年
1977~1981年
1982~1986年
1987~1991年
1992~1996年
113
252
330
258
298
14
8
14
41
46

おわりに

 オルトランは世界中で、多くの作物、種々の害虫防除に使用されている。したがって、現在まで本化合物が研究の対象になる機会も多く、種々の関連特許が申請され、また数多くの研究論文、技術情報が報告されてきた。Chemical AbstractsのChemical Substance Indexには1972年から1996年までオルトランの関連特許、文献は1,251件、混合剤の文献、特許は123件記載されている(第4表)。比較的遅く開発された有機リン殺虫剤としては異例の文献数であり、最近になっても論文の発表数は減少していない。

 オルトランは国内外を問わず植物保護の分野で重要な役割を今後も果たし続けるものと確信している。

((株)アリスタ ライフサイエンス 生物産業部 技術顧問)