天敵農薬(1)

村上 陽三

- アリスタ ライフサイエンス農薬ガイドNo.77/G (1995.10.1) -

 

 



はじめに

本年(1995年)3月10日、チリカブリダニとオンシツツヤコバチの製剤がそれぞれ「スパイデックス」と「エンストリップ」の商品名で農薬として登録され、ようやく市販され農家での一般使用が可能となった。周知のとおりわが国では、天敵を売買するためには農薬として登録されることが義務づけられており、今回の2種の天敵を含めてこれまで6種の天敵が農薬として登録されている(第1表)。これらの天敵はいずれも、周期的放飼(後述)による利用を目的としたものであり、通常「生物農薬」(その天敵が微生物の場合は「微生物殺虫剤」)とか「天敵農薬」と呼ばれている。「生物農薬」という語は欧米では一般に、周期的放飼の中でも特に「大量放飼」と呼ばれる方法で利用される天敵に限定して用いられているので、ここでは「人為的に大量生産して周期的に放飼される天敵」の総称として「天敵農薬」という用語を用いる。

登録年 製剤名 天敵の種名

対象害虫(作物)

1970 寄生蜂剤クワコナコバチ クワコナカイガラヤドリバチ(寄生蜂) クワコナカイガラムィ(リンゴ・ナシ)
1974 DVC水和剤マツケミン マツカレハCPV(ウイルス) マツカレハ(松林)
1982 BT水和剤セレクトジンほか6製剤 バチルスチューリンゲンシス菌(細菌) コナガ・モンシロチョウ・ヨトウムシ(アブラナ科野菜)
1993 寄生蜂剤クワコナコバチスタイナーネマ・カーポカプサエ剤バイオセーフ スタイナーネマ・カーポカプサエ(線虫) スジキリヨトウ・シバツトガ・シバオサゾウムシ(芝)
1995 チリカブリダニ剤スパイデックス チリカブリダニ(捕食虫) ナミハダニニセナミハダニカンザワハダニ(ハウスイチゴ)
1995 オンシツツヤコバチ剤エンストリップ オンシツツヤコバチ(寄生蜂) オンシツコナジラミ(ハウストマト)

第1表 農薬として登録された天敵



1.天敵のさまざまな利用方法

天敵の利用方法は3つに大別される。

(1)永続的利用

古典的生物的防除または伝統的生物的防除と呼ばれている方法で、その天敵の未分布地に導入放飼して定着させ、その後の永続的効果を期待する。第2表に示した6種の害虫に対する7種の天敵の利用は、この方法によってわが国で成功した事例である。いずれも外国から侵入した果樹害虫での成功であり、土着害虫やその他の作物を加害する害虫での成功例は、わが国では1例もない。このことは必ずしもそれらの害虫での成功の可能性を否定するものではないが、諸外国でも侵入害虫や果樹害虫での成功率は高い。



(2)周期的放飼

他の地域から導入された天敵を放飼しても、その原産地の気象条件との違いのために定着できなかったり、定着できたとしてもなんらかの原因で十分な効果が得られず、永続的利用ができないことがある。しかしそのような天敵でも、潜在的にはすぐれた能力を持っている場合には、それを人為的に大量生産して周期的に放飼することによって有効となる場合がある。この方法には接種的放飼と大量放飼の2通りがある。前者は放飼された天敵がそこで子孫を殖やし、これら次世代以降の個体の効果に主として期待する方法である。チリカブリダニやオンシツツヤコバチの利用は、基本的には接種的放飼に属する。

これに対して、主として放飼された天敵そのものの効果に期待するのが、大量放飼と呼ばれる方法であり、殺虫剤の使用と同様な考えに立って利用される天敵という意味で、生物農薬と呼ばれる。卵寄生蜂を大量生産して放飼する方法はこれに当たる。しかし接種的放飼と大量放飼の区別が明瞭でない場合もあり、オンシツツヤコバチの利用などは接種的放飼とはいえ、大量放飼的な要素も強い。



(3)環境の操作による効果の増強

天敵にとっての環境を好適な状態に改善することによって、特に土着天敵の効果を高めるための様々な方法がある。農地生態系では生物相が比較的に貧弱であるため、多食性天敵が有効に作用しないことがある。カバークロップや生垣によって、天敵の代替寄生や餌を提供したり、農薬の隔列散布や条刈によって天敵を保護したり、カイロモンを利用することによって寄生蜂の産卵率を高めるなどの方法が含まれる。これらの方法は、土着天敵だけでなく、導入した定着した天敵の効果を高めるのにも役立つ。


左:クワコナカイガラムシ、右:ナシ被害果(二十世紀)。吸汁痕が着色せずに斑点状に残る



 
クワコナカイガラヤドリバチが寄生してマミー化したクワコナカイガラムシ(左)と健全虫(右)
 
天敵農薬第1号「クワコナコバチ」:1シートに含まれるマミーから約2,000頭の寄生蜂が羽化する



2.過去における天敵農業の事例

(1)外国での事例

欧米ではオンシツツヤコバチやチリカブリダニだけでなく、様々な害虫を対象にした天敵の周期的放飼実用化されている。BT剤やスタイナーネマの利用はもとより、各種の寄生蜂や捕食虫も周期的放飼によって効果をあげている。たとえばアメリカでは、カリフォルニア州のカンキツ園でアカマルカイガラムシを防除するため、中国原産のツヤコバチ、アフィティス・リンナンエンシスを大量生産して周期的に放飼したり、同じくカリフォルニアでカンキツを加害する数種のコナカイガラムシに対して、捕食虫のツマアカオオテントウとトビコバチ科の寄生蜂レプトマスティクス・ダクティロピィが利用された。いずれも生産費は、農薬を使用した場合よりも安く、しかも効果的に防除できることが示されている。



(2)わが国での事例

対象害虫

対象作物

天敵の種名

タイプ

導入・年

イセリヤカイガラムシ

カンキツ

ベダリアテントウ

捕食虫

台湾(1)
・1911

ミカントゲコナジラミ

カンキツ

シルベストリコバチ

寄生蜂

中国・1925

リンゴワタムシ

リンゴ

ワタムシヤドリコバチ

寄生蜂

米国・1931

ルビーロウムシ

カンキツ、カキ、チャ

ルビーアカヤドリコバチ

寄生蜂

九州(1)
・1948

クリタマバチ

クリ

チュウゴクオナガコバチ

寄生蜂

中国・1979

ヤノネカイガラムシ

カンキツ

ヤノネキイロコバチ
ヤノネツヤコバチ

寄生蜂

中国・1980
中国・1980


第2表 日本における古典的(伝統的)生物的防除の成功例



1935年から1940年にかけて、ニカメイガを防除する目的で、卵寄生蜂ズイムシアカタマゴバチを大量生産して水田に放飼する実験が行なわれた。結果は失敗に終わったが、天敵の利用といえば永続的利用しか考えられなかった当時としては、世界的にも先駆的な研究であったといえる。

農薬取締法の改正によって天敵も農薬として扱われるようになり、最初の天敵農薬として登録されたのが、クワコナカイガラムシの寄生蜂クワコナガイガラヤドリバチである(第1表)。当時東北地方のリンゴや山陰地方のナシではクワコナカイガラムシの被害が著しく、他に的確な防除法がなかったため、天敵の利用に期待が持たれていた。当時の農林省も、永年作物害虫の生物的防除に関する特別研究の中で、この害虫の生物的防除の可能性を模索していた。クワコナカイガラムシには有力な土着天敵として5種の寄生蜂が知られているが、その中でもクワコナガイガラヤドリバチだけが発育速度が寄主の2倍であるため、増殖能力が他の寄生蜂に比べて顕著に高く、しかも千葉県南部や九州にしか分布しなかったので、この寄生蜂が天敵農薬の候補者として選ばれた。

1963年以降10県下のリンゴ園とナシ園で放飼実験が行なわれ、1970年に寄生蜂剤「クワコナコバチ」の商品名で農薬として登録されたが、生産費の関係から1年限りで製造販売が中止になり、一般農家への普及はいたらなかった。(次号につづく)

(九州大学農学部)