IPM環境における研究と開発について
農薬ガイドNo.112/E(2007.4.20) - 発行 アリスタ ライフサイエンス株式会社 筆者:和田 哲夫
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 農林水産省が植物保護行政において総合的病害虫防除管理(IPM=Integrated Pest Management)を今後の日本における農業病害虫防除法の重要な方法の指針として打ち出してきていることは、すでに多くの官報をみるまでもなく明らかである。
 以下は日本および海外におけるIPM管理のなかで、今後どのように植物保護剤を研究、開発していけばいいのか、という疑問に対するひとつの考え方である。

誤解されてきたIPM

 IPMはその研究の当初から一見化学農薬を排除する容貌をもっているように思われがちであるが、化学農薬がIPMにおける重要なツールであることはIPMの考え方からしてごく当然のことなのである。
 ところが初期のIPMの研究者は、比較的にいって、昆虫学者が多く、応用昆虫学のなかで、化学殺虫剤による天敵層の破壊、撹乱に対しての批判的言辞が多かったことが、病害虫防除の場が不幸な化学と生物学の出会いの場となってしまったといえるかもしれない。

 化学的防除と生物的防除、物理的防除、耕種的防除はかならずしも対立する概念ではない。

化学農薬の低毒化の速度

 カリフォルニア州クリアレイク(Clear lake)事件やDDTの人体の蓄積問題などのいくつかの予期し得なかった不幸な事故により、初期の化学農薬の開発そしてその実用の場面において、化学農薬に対する不信感が醸成されてきたことは否めない事実だったであろう。
 しかし、初期の化学農薬の欠点を欠点として理解し、低毒化、環境影響の少ない剤の研究開発は植物保護に関わる人間にとっての悲願であったことは、あまり知られてはいない。

 低毒化と一口にいっても、ひとつの薬剤を開発するためには、10年程度の年数がかかるため、一つの改善を実現するために、10年以上のタイムスパンで考えていかざるをえない状況であった。
 これは化学合成におけるスクリーニング(選択)の必要年数、生物試験の必要年数、安全性試験の実施年数などを考慮すれば、おのずから首肯できる年数であったのである。
 しかし、1980年以降に開発されてきた薬剤の多くは低毒性、低環境毒性をクリアしてきていたのである。この事実が一般にあまり知られてこなかったところに問題があったともいえるだろう。マスコミは化学農薬も進化してきていることを知らずに、すでに禁止された農薬のことをいつまでもとりあげていたのである。不勉強のそしりは避けられないだろう。

 しかし、陳腐化した農薬(DDT、BHDなどのオブソリート(Obosolete)農薬と呼ばれている)の市場から引き上げに時間を要したことも、マスコミが古い農薬への批判を続けたことの一因といえるかもしれない。

IPMの起源とは

 IPMはいつから実行されてきているのであろうか?
IPMは米国で1960年代に提唱されている。
 そのため、IPMは化学農薬に対するアンチテーゼとして出現したものと捉えがちであるが、実際はIPMは紀元前の昔より行われてきているのである。
 いいかたを変えれば、農業生産における病害虫防除(雑草防除をふくめてもよい)において人類が耕作をはじめるようになってから、人類が病害虫に対して行なったそれぞれの動作がすべてIPMの手法の一つと言っていいのである。

 紀元前から行なわれてきたという天敵昆虫利用、ナイルの氾濫の周期を熟知したうえでの耕作サイクル、江戸中期の日本の水田における鯨油散布法(大蔵永常、除蝗録)、フランスのボルドー地区における硫酸銅の散布、現代の日本でいえば夏場の高地におけるトマト栽培、キャベツ栽培などあらゆる人間の知恵がIPMの一要素であるといっても過言ではない。

化学薬剤への過度な忌避は?

 明治4年の「ザンギリ頭をたたいてみれば、文明開化の音がする。チョンマゲ頭をたたいてみれば因循姑息の音がする」という雑謡があった。
 新しい技術に対する過度な忌避はチョンマゲ頭に固執する幕府の遺臣を想起させてしまうようにも思える。
 もちろん新技術にたいする懐疑はきわめて重要であり、GMO(遺伝子操作生物)に対する慎重な検討が欧州、日本ではつづけられている。
 かつて化学農薬への過度な忌避感覚は「中世の魔女狩り」にも似た集団的心理が働いていると指摘した識者もいた。
 何事にも、質と量を評価したうえでリスク評価は行われるべきであり、ヒステリックなあるいは、幼児的な化学農薬忌避の心理を分析することなく、それに雷同することはあまりに非理知的であろう。





IPMの質とは?

 ここまで読んでこられた方は筆者がかなりの化学農薬擁護派であると錯誤されるかもしれない。
 ところが案に相違して、筆者は、擁護派であるとは目されてはいないだろう。
 日本においてIPMを生物防除の根幹として意識しながら、生物農薬は開発されたのかと問われれば、必ずしもそこまで概念的なIPM理論のなかで生物的防除を確立しようとしたわけではなく、あくまでも防除方法の多様化を目指したものから出発したのである。
 化学農薬の開発をしていると、医薬品でも同様の現象が現れるが、避けて通れないのが「耐性」「抵抗性」の問題である。
 抵抗性を回避するには、その薬剤をしばらく使用しないこと以外には、根本的には解決方法はない。
 なかんずく、その薬剤の作用点が、ほかの薬剤と同等である場合は、その病害虫に対する決定的防除手段を人類は短期的に失うという危機的状況をさえ招く場合がある。実際、現在でも医薬品では、MRSA(メチシリン耐性菌)のような院内感染菌の抵抗性問題は慢性化している。バンコマイシン(Vancomycine)以外に効果のある抗生物質が開発されてこないという大きな問題がある。

医薬品と化学農薬の違い

 医薬品と化学農薬は多くの点で研究開発のプロセスはかなり近似している。
 ただしそのおかれた状況がひどく異なるのである。
 誤解を恐れずに書くと、医薬品においては、いまだ治癒可能でない病気、症状が数多く残っていることである。多くの癌、脳血管障害、枚挙するにいとまがないことは多くの人の知るところである。
 一方で植物の病害虫、雑草で防除できないものはあるのかと問われれば、完全に防除できないものは五指でもって足りてしまうといえるであろう。いささか誇張していえば、現在の化学農薬で防除できない重要な病害虫、雑草はほとんどないのである。
 このような状況のなか、化学農薬が進むべき方向はかなり明確である。
 「安全性の追求」、「効果の最大化」、「薬剤投与量の最小化」、「生産コストの最小化」などが求められている。

生物農薬の意義

 生物農薬はすでに多くの人が知っているように、鋭利な手術に使用するメスのような効果を期待することは一般にできない。
 ただ抵抗性の病害虫に対しての自然界からの恵みとして、人類が利用できる貴重な資源なのである。
 上述のごとく、開発目標を失いつつある化学農薬の研究開発において、いまだ未開拓の植物保護の開発の可能性を秘めている分野であるともいえる。
 生物多様性の問題が叫ばれているが、その多様性を利用しきれてはいない。

 たとえば、地球上の昆虫種は400万種とも2,500万種ともいわれている。
 そのうち人類が有効な天敵として開発に成功しているものは100種に満たないのである。
微生物に至っては、そのオーダーは天文学的なオーダーとなるであろう。
 もちろんこれら生物はまた化学農薬、医薬品開発におけるおおきなヒント、手がかりをつねにあたえてくれる自然の恵みでもあるわけであるが。

知的財産権の意義

 生物防除や物理的防除、耕種的防除がさほど発展していない理由の一つとして、「特許制度」というまだ100年程度の歴史しかない人類の研究開発意欲をかき立てる制度の利用が不十分だから、ということもいえる。
 その理由として、特許法が成立した19世紀の概念には「自然に存在するものの特許は認められない」という原則があったからなのである。
 しかし、この原則も生物学の進歩により、特に遺伝子レベルの研究の進歩により自然に存在するものの特許が可能であるという時代に我々は入ってきている。

 天敵生物についても以下の天敵については特許が成立あるいは成立が目されている。また、近年新天敵として有望な天敵種が日本国内においても陸続として見出されてきている。

・カンムリツヤコバチの天敵昆虫としての性能および増殖法(静岡県・アリスタ ライフサイエンス)
・オオメカメムシの天敵昆虫としての特許 (千葉県など)
・スワルスキーカブリダニの天敵としての利用および増殖法(蘭コパート)

 その他、耕種的防除、物理的防除法についても特許申請が行なわれているところは仄聞するところである。
 知的財産の保護なしには、オリジナルな研究開発の持続は困難である。
 知的財産を保有することによって、日本の工業は発展してきたという事実を、生物工業という言葉が醗酵産業だけでなく、生物防除の世界でもあてはまるように、知的財産にたいする意識を高める必要があるということを跋語として本稿を閉じさせていただくことにする。
(アリスタライフサイエンス(株))


生物農薬開発のフローチャート

野外での研究

防除困難な病害虫の特定→天敵あるいは天敵微生物の発見…・文献検索→同属、同科の生物の探索(国内外の種を検討)→非標的生物への影響試験→パイロット増殖
増殖した天敵生物の効果判定(室内、温室、野外)→既知の天敵生物に比べての優位性判定

室内研究

対象病害虫の増殖→天敵生物と病害虫増殖のシンクロナイゼイション(同期化)と増殖研究→産業レベルでの増殖法検討(代替寄主の選定を含む)

化学農薬の影響試験→(気温、UV,野外・温室内における残効期間の確定)
放飼方法の研究インターギルド(Interguild)影響研究→(各種天敵生物の干渉研究)
長期保存法の研究 →(生産時期の集中化を避けるためには必須の研究)
増殖効率の良いストレイン(系統)のスクリーニング→(天敵生物のコスト低減研究)

植物保護剤も進化する

有機リン剤の場合
パラチオン→DDVP/DEP→サリチオン→シュアサイド→オルトラン(アセフェート)

カブリダニの場合
スパイデックス(チリカブリダニ)→ククメリスカブリダニ→スパイカル(ミヤコカブリダニ)→スワルスキーカブリダニ

ツヤコバチの場合
エンストリップ(オンシツツヤコバチ)→エルカード(サバクツヤコバチ)→べミパール(地中海ツヤコバチ)


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