「古樹巡礼」の旅を終えて
農薬ガイドNo.112/A(2007.4.20) - 発行 アリスタ ライフサイエンス株式会社 筆者:杉元 政光
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はじめに

 日本の農業とともに半世紀。オーソサイド水和剤50周年を記念して、日本を代表する「果樹の古木」を全国に紹介いたします。あなたの農園やお住まいの地域を代表する「果樹の古木」に関する情報をお寄せください。

 総合殺菌剤オーソサイド水和剤の発売開始から50周年を迎えた昨2006年3月、その記念事業としてのプロジェクト「古樹巡礼~実りの古木のものがたり~」は、全国公募を呼びかける告知記事からスタートした。冒頭の一文は日本農業新聞に掲載されたものだ。
 全国に果樹の古木を訪ね、栽培農家の声とともに写真と文章で紹介する。何やら和辻哲郎の名著「古寺巡礼」を彷彿させるこの企画、2年前まで全国農業新聞に関わっていた筆者にとって、久しぶりの農業ものの取材仕事となった。
 かくして、全国から寄せられた情報を元に、昨年5月から8月にかけて、北は北海道から南は九州まで、古樹巡礼の旅で全国を駆け回った。以下はその要約である(年齢等は取材時)。

1.オウトウ―山形県東根市―

 松田茂雄さん(75)の畑には、戦後間もない頃に植えられた佐藤錦の古木がある。「その樹のある辺りは、戦時中に防空壕がありました。戦争が終わって、再び畑に戻したときにわたしの父親が植えたのです」と松田さん。戦争の時代を苗木で過ごした佐藤錦の原木は、その後、人の手によって育まれながら、風雪にたえ、花を咲かせ、そして実を結び続けてきた。
 阿部恭太郎さん(83)の畑には佐藤錦の原木の苗から育てた巨木が現存する。終戦の年の秋に、5年生ほどの苗木を植えた。最上川の扇状地で土壌は砂利がちという悪条件を克服して大きく育ったのは、この樹のところだけ土が深く、十分に張った根で土中の栄養分をしっかり吸い上げたからではないかという。

▲オウトウ (撮影:小松稔)

2.ウメ―和歌山県みなべ町及び田辺市―

 

紀州のウメの生産量のほとんどを占める南高梅。JAみなべいなみ本所前には樹齢100年近い母樹が移植されている。普及したのは1950年代に最優良品種となってから。大粒で肉厚の実は、梅干や梅酒の原料はもちろん、ジャムなどの加工品にも向く。農家にとっては、豊凶の差が少なく、反収に優れているのも魅力だ。

 「うちの南高梅は太陽をいっぱい浴びているので、実の紅(べに)が濃いのが自慢です」

と山本茂さん(54)が1960年前後に父親が植えた見事な1本を見せてくれた。 紅が濃いのは、基盤整備で日照時間が増えたからだ。「4月の寒波で実が凍る被害も経験しましたが、この20年ほどは収量も安定して、まずまずといったところです」と話す。

 那須京子さん(53)の畑には樹齢90年近い古城梅の原木がある。数年前に台風の被害で折れてしまったものの、天に向けて伸ばした枝先には累々と濃緑の実が付いている。
 高級梅酒の原料として知られる古城梅は、明治22年生まれの祖父の那須政右エ門さんが大正時代に改良した品種。古城は那須家の屋号。「祖父は研究熱心で教え上手。農家というよりも技術者でしたね」と京子さんが政右エ門翁の思い出を語る。
 皆平早生梅は江戸時代から伝わる在来種。果肉が柔らかく種が小さいので梅干の原料には最適だが、反収が少ないため栽培農家も減り、今日では幻のウメと呼ばれる。

 下澤理壱さん(57)は妻の優美子さん(52)とともに、品種名にもなった皆平地区で樹齢60年から70年になる皆平早生梅の古木を育てている。理壱さんは「うちの梅干は羽二重餅のようにふっくら。まるで家内のようです」とうれしそうに話す。

 三つの畑はいずれも谷にあり、山の急斜面を切り開いた畑に先人の苦労が忍ばれた。


▲ウメ(撮影:小松稔)

3.ナシ―千葉県市川市―

 伊藤吉一さん(62)の畑には、十代の頃に父親と一緒に植えた樹齢45年ほどの新高がある。毎秋500個を収穫した全盛期は過ぎたが、今でも400個ほどの実を付ける。
 古木に愛着はあるものの、経済を優先し、この10年ほどのあいだに新高を豊水、幸水などに植え替えた。「植え替えはせがれの代を考えてのこと」と話す。


▲ナシ(撮影:小松稔)

4.ブドウ―福岡県広川町及び長野県上田市―

 「これ1本がいちばんよかとです。この木だけいっぺんに色づいてしまうとですよ」と原野務さん(75)。1960年、父親の急逝で商売をたたみ農業を継ぐことになったとき、初めて自分で植えた巨峰30本のうちの1本だ。
 当時、巨峰は高値が約束されていたが、栽培が難しく、全国的な研究会に入会して技術を学んだ。研究と工夫を重ねようやく安定栽培にこぎつけたという。

 松崎孝顕さん(64)の畑には、この地区でブドウ栽培が始まった40年ほど前に植えた巨峰の古木がある。現在は、地区の農家ぐるみで互いに栽培方法を教え合いながら、高級ブランドである「エレガンス巨峰」や「ナガノパープル」などの栽培にも挑む。「量の時代は終わりました。これからは質の時代です」と語る。


▲ブドウ(撮影:大浦佳代)

5.リンゴ―青森県つがる市―

 古坂徳夫さん(56)の畑には、樹齢128年のリンゴが3本ある。品種は2本が紅絞、残る1本が祝。現存する西洋リンゴでは国内最古。植えたのは江戸時代生まれの乙吉翁。1878年に入手した苗木は、内務省勧業寮から青森県庁に配布された最初の3本から接木したものだ。
 3本の古木は、いずれも枝ぶり豊か。剪定作業だけで4日半、これに風雪害対策などの手間が加わるほか、体験学習に来る近隣の小中学生や年間で500人を超す見学者の受け入れで、兼業農家の徳夫さんは大忙しの日々を送る。目下の夢は、台風で折れた紅絞の大きな枝を元通りにすることだという。


▲リンゴ(撮影:小松稔)

終わりに

 古樹巡礼の旅から学んだことは大きく三つあった。
 一つ目は地域の歴史を抜きには語れないこと。たとえば、全国一のさくらんぼ(オウトウ)出荷量を誇る東根市には、意外にも戦前の古木が少なかった。調べると、戦時中に燃料不足を補うため炭として焼かれたことがわかった。古木は地域史の合わせ鏡である。
 二つ目が適地適作。栽培農家に古木が残った理由をたずねると、かならず「気候風土のたまものです」といった答えが返ってきた。だが、山形での取材をコーディネイトした山形日紅の技術顧問・奥山薫さんは、「古木は世話のできる人のところに残るべくして残った」と栽培者の力量によるところが大きいと指摘する。
 そして三つ目にオーソサイドの存在。実際、巡礼先で何度も栽培農家から「使ってますよ」の声を聞いた。今回の巡礼中、最長寿のつがる市の樹齢128年のリンゴにもオーソサイドが使われていた。この名脇役がいてこそ、古木という主役が輝くのだとも言える。
 さいごに余談を一つ。栽培農家のみなさんは長寿の方が多く、古木に負けず劣らず元気な方ばかり。なるほど、古樹は、奥山さんのいうように、適地適作と適「人」の賜物なのだった。
 なお、千葉と福岡の取材はフォト・ジャーナリストの大浦佳代氏が担当した。

(ルポライター、元「全国農業新聞」編集企画委員)

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