まえがき
文明の利器として使用されているものの発明発見は古今東西を問わずドラマティックなものである。それは薬剤においても、ペニシリン、ストレプトマイシンの発明発見物語は世界中で良く知られていることである。ジンマシンの特効薬である抗ヒスタミン剤、水虫の治療薬を発明すればノーベル賞ものと言われていたアゾール系抗真菌剤の発明などは欧米でも一般には知られざる物語があるに違いない。
本文で紹介する新規な殺虫剤群は上記の薬剤に比べれば採るに足らないものであろう。しかし、世界の市場で使用されている多くの農薬が欧米の発明によるものであるが、この殺虫剤の分野の発明はほぼ日本の独走状態にある。したがってこれらの剤の研究開発経緯に関心のある読者諸氏が日本には多いと推察され、また探索研究に現在あるいは将来従事される諸賢にいささかなりとも参考になればとの趣旨で書き始めたものである。
1.NACRA(Nicotinic Acetyl Choline Receptor Agonists)、ニコチン様アセチルコリン受容体の拮抗剤
NACRAは古くはタバコ抽出物の硫酸ニコチンがあり、合成のネオニコチン(アナバシン)も使用されていた。1960年代からイソメ毒、ネライストキシンの誘導体であるカルタップ(パダン)、チオシクラム(エビセクト)、ベンスルタップ(ルーバン)が開発され、最近では醗酵生産物由来のスピノサド(スピノエース)が殺虫剤として使用されている。
上記の剤と同様な作用機構をもつものであるが、純粋な化学合成により導き出された化合物イミダクロプリド(アドマイヤー)は1980年代に日本バイエルアグロケム(NBA)(元日本特殊農薬製造(NTN))によって発明されたもので、日本では1992年から販売されている。それに続いて、1995年にニテンピラム(ベストガード、武田薬品)およびアセタミプリド(モスピラン、日本曹達)の登録、さらにチアメトキサム(アクタラ、チバ・ガイギー)、チアクロプリド(バリアード、NBA)、クロチアニジン(ダントツ、武田薬品)、ジノテフラン(スタークル、三井化学)の開発が行なわれてきた。またAKD-1022(アグロカネショウ)が1991年、IKI-1850(石原産業)が1992年から日植防委託試験に申請されている。
これら殺虫剤の適用害虫は範囲も小型害虫対象に比較的広く、浸透移行性、残効性も備えているので、合成ピレスロイド、IGR(ベンゾイル・ウレア系など)とは異なる使用場面、使用方法で世界の植物防疫に大きく貢献している。
イミダクロプリド(アドマイヤー)1992
ニテンピラム(ベストガード) 1995
アセタミプリド(モスピラン) 1995
チアメトキサム(アクタラ) 2000
チアクロプリド(バリアード) 2001
クロチアニジン(ダントツ) 2001
ジノテフラン(スタークル) 2002
▲第1図 現在市販中のNACRAと登録年
2.パイオニアとしてのシェル社の研究
1978年スイスのチューリッヒで国際農薬化学会が開かれ、そこでシェル社から「ニトロメチレン殺虫剤」の発表があった1)。シェルの研究者は未知の作用機構を持つ新しい殺虫剤の開発を目的として、ニトロ・メチル基(-CH2NO2)をもつ化合物、それを14種のヘテロ環に置換して検討した結果ピリジン(化合物Ⅰ)のみ殺虫効力が認められたと述べている。当時、米国の市場の要望は大型のりん翅目害虫(特にオオタバコガの類)に有効で有機塩素系、有機リン系に替る殺虫剤にあり、シェル社もその害虫をメインのターゲットにしてスクリーニングをしていた。(Ⅰ)の化合物の発見から更なる研究でニトロメチルピリヂウム塩(Ⅱ、SD
34064)やニトロメチレンピペラジン化合物を探索した結果パラチオンと同程度の効力のニトロメチレンピぺリジン(Ⅲ、SD
33420)を見出している(US特許 出願日 04 May 1972)。
(Ⅰ) ニトロメチルピリジン
(Ⅱ)ニトロメチルピリジウム
(Ⅲ)ニトロメチレンピペラジン
この発見を契機にその後精力的に合成を展開していったように推察される。化合物(Ⅳ)、(Ⅴ)からさらにパラチオンの17倍効力の高い化合物(Ⅵ、SD-35651、nithiazin)を見出し、米国に特許を出願した(US
特許 出願日08 May 1974)。
(Ⅳ)ニトロメチレン
(Ⅴ)ニトロメチレンテトラヒドロピリミジン
(Ⅵ)ニトロメチレンテトラヒドロチアジン
(Ⅶ)
(Ⅷ) WL-108477
その後もシェル社の研究は続けられ(Ⅶ)のような化合物も合成されたが (Ⅵ)よりさらに殺虫効力の優れた化合物は発見出来なかったようである。
1978年の国際学会の発表は296の化合物と37の表で研究開発の経緯と構造活性相関を理路整然と説明したものであった。また1972年から1978年まで60以上の特許が出願されていたので、その研究はほとんど完成されたものと思われたに違いない。その数年間の研究途中では当然ながらN-ニコチニル(ピリジニルメチル)基(NACRAをニコチニル系とも称している)も検討されていたが、殺虫活性の増強を見出せなかったのはシェル社の不運と言うのであろうか。比較的低分子量の化合物を好むようなシェル社にピリジンから始めた化合物にさらにピリジンを結合させ展開を計る発想はなかったのかも知れない。
シェル社のNithiazineは日本ではSK-71のコード番号で1979年から1985年まで日植防委託試験で主に稲の害虫を対象に圃場評価が行なわれ、その後急性毒性がより低いN-ホルミル体(Ⅷ,
WL-108477)に替えられ、1991年まで試験が続けられていた。おそらく1988年からイミダクロプリドの委託試験の登場で日本での開発は中止になったと推察される。
成功物語にならなかったシェル社の研究結果を初めにかなり詳細に紹介したのは後に多くの研究者が合成する化合物の重要なヒントを網羅しており、また極めて効率良く探索研究を進めることが出来たに違いないからである。
3.1970年代の類縁化合物について
1970年代シェルの研究中に、その類縁化合物の殺虫剤特許はヘキスト社から2件出願されただけである。1979年に公開された化合物の一般式は下記に示した。なぜ1社2件だけなのか理由は前に述べたように推測の域をでない。
1970年代に医薬の分野では胃潰瘍の治療薬としてヒスタミンH2受容体拮抗薬の開発研究が盛んに行なわれていた。1972年にヒスタミンのグアニジン同族体(Ⅸ)が胃酸の分泌に拮抗することが発見され、その後の研究から1975年にシアノグアニジン基のシメチジン(タガメット、Ⅹ)がスミスクライン社によって開発された。更にグラクソ社からニトロエテニールジアミン体のラニチジン(ザンタック、ⅩⅠ)が報告され、1979年に山之内製薬からファモチジン(ガスター10)が開発された。
その後、医薬会社のみならず多くの化学薬品企業がニトロメチレン(C=CH-NO2)、ニトロイミノ(C=N-NO2)、シアノイミノ(C=N-CN)基を含む化合物を合成しヒスタミンH2受容体拮抗剤として研究開発を行なっている。これらはいずれもNACRAの活性基であることが後になって判明する。
1970、1980年代にH2受容体拮抗剤として合成された数多くの化合物の中には人畜毒性の強いものがあり、当然殺虫活性のあるものが含まれていたはずだが、不思議なことに1987年チバガイギー、武田薬品が出願するまで殺虫剤の特許は見られない。くどいようであるが参考までに医薬として出願されたDr.
Karl Thomae社の特許化合物例を示す。
また現在まで各種の酵素阻害活性のあるニトロエテンジアミンは医薬の特許で少なからず散見される。H2受容体拮抗剤の研究開発が医薬専業会社から始められたとはいえ10年にわたりどの企業も殺虫活性に気づかなかったのは研究組織の細分化や高度の専業化に問題があるのであろう。
4.日本バイエル・アグロケムの探索研究-黎明の時-
農薬の探索研究を行なっている世界中の企業が1978年チューリッヒの会議以降この新剤に関心を持ったと思われる中で、本格的に取り組んだ研究者がいなかったのは実に奇妙なことに思われる。通常は特許の明細書を詳細に検討し研究実行の判断にするが、余りの特許件数の多さにうんざりしたのかあるいは先行化合物、Nithiazineの開発情況によって研究を始めようしていたのかもしれない。
当時NBAの研究はカーバメート系抵抗性のウンカ・ヨコバイをターゲットにして新規化合物の創製をめざしており、大型のりん翅目に良く効くがアブラムシ、カメムシに効力が弱いニチアジンの興味は最初低かった1、2)。しかし、前述の1979年ヘキスト社の特許で特にカメムシに有効との記載をみてニトロメチレン・イミダゾリジンに関心をもった。当時ドイツのバイエル社研究所で合成をしていた日本人研究員がNBAの研究所に勤務することになり、ニトロメチレンイミダゾリジン誘導体によるウンカ・ヨコバイ防除剤の探索がサブテーマで与えられた。
1980~81年に合成されたイミダゾリジン化合物はカーバメート剤と同程度の効力は期待されたが公的機関で評価をするレベルに到達していなかった。その後もN-ベンジルの置換基を変えるなどの努力は続けられていたが4-クロルかブロム置換に優るものはなく殺虫活性に注目するような変化はなかった。その研究員は1982年からいもち剤に集中しており、1983年には二つの研究テーマをひとりで合成を続ける精神的肉体的ストレスからサブテーマを保留あるいは中止する話がでていた。しかし、ヘテロ環たとえばピリジンをいれる程度の努力をして止めないと引継ぎも出来ないことから最後のご奉公で合成された化合物で興味ある効力が得られたのである。第1表に示した通り、殺虫力は高いものではないが手掛かりとしては十分満足なものであった。
▲第1表 ニトロメチレンイミダゾリジンのツマグロヨコバイに対する殺虫効力
日本農薬学会誌19:219、1994より
この発見を機にNBAではグループでこの誘導体の合成を開始したのである。間もなく最初の高殺虫活性化合物NTN32692が合成された。
特公開 昭和60―218386
出願日 昭和59年4月13日
公開日 昭和60年11月1日
1984年は小規模ではあるが広範囲の害虫に対して圃場スクリーニング試験が行なわれた。結果はウンカ・ヨコバイのみならず防除が困難な抵抗性害虫に予想に優る効果が期待できることが判明した。
(アリスタライフサイエンス(株)技術顧問)
参考文献
1.Advances in Pesticide Science, Pergamon Press; Vol.2,
206, 1978
2.Pesticide and Venom Neurotoxicity Plenum
(以下次号に続く)
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